ぼくのメジャースプーン

お休みには、本を読めるという特権がありまして。
本日、読んでみたのは辻村深月の「ぼくのメジャースプーン」。
小学生の「ぼく」の視点から、罪と罰について考える本書はなんだか道徳の授業を受けてるみたいだった。

「もし自分の大切な人がどうしようもない暴力に巻き込まれ、そこで大事なものを奪われた場合、その犯人にはどんな罰がふさわしいか。」という問に対しての、様々な意見がおもしろかった。
 ある人はこう言う。犯人と、友達にならなければならないと。相手の人生に飛び込み、巻き込まれる決意ができないなら、復讐なんてしてはいけないんだと。
ある人はこう言う。何もしないで、自分も、暴力を受けたひとも、忘れるように努力するのが良いと。相手にしない、というのが唯一暴力に立ち向かう方法なのだと。
ある人はこう言う。犯人を、同じ目に合わせると。暴力を受けた人にとって、自分のために一生懸命になってくれるという自信でしか犯人に軽視された事実を消すことはできないのだと。
私は、こう思う。ただずっと、大切な人のそばにいるだろうと。2人目の人と似てるね。「愛がなんだ」の主人公が、言っていた。「私の場合、好きか、どうでも良いの2択になっちゃうんだよね」と。私の感覚は、それに近い。加害者は、限りなく、どうでも良く思えると思う。

「正しさ」はいつもひとつじゃない。誰のための正しさかも、わからない。それでもきっと、誰もが正しさを求めてさまよっているんだろう。