oasis

韓国の映画、見ました。
出所したての男と脳性麻痺の女の子の交流。
ソン·ギョイルとムン·ソリ、どっちもすごいや。

「理解されない」っていうことについて考えた。
映画の中の2人は、ただひたすらに「理解されない」から。

私達はいつも、誰かに理解されたくてしかたがないような気がするけれど。自分を理解してもらえるように努力することは、本当に必要なんだろうか。
分かり合いたいならね、たぶん必要。
だって、考えてることなんて、ほんとに何も伝わってないと思うから。

でも、大事だと思う人には、自然と伝えたいという感情が湧いてくるはずだから、もし少しでも理解されようと無理をしてるなら、健康な状態ではないかもしれない。

みんながみんな、分かりやすくはないけど、でも本人の中では思考の流れは確かにつながっていて、あまりに純粋な理由で行動してたりするんだもんね。

ていねいにひとを理解する努力というのもまた、必要な時があるんだろう。
理解できないのは怖いけど、だからと言って常識外れだと人を責めるようなひとにはなりたくないな。