小山田咲子さん。
最近とっても好きになったバンドandymoriのボーカル、小山田壮平くんのお姉さん。
24歳で亡くなった彼女のブログ日記集の、好きだった言葉、集めてみるね。これはちょっと長くなる。
「みっともなくなるくらい夢中になれなかったら恋愛なんて無意味だ。」
「恋人の前で、泣くことと歌うことと謝ることをはずかしがらない、というのは私のちっぽけにして最大の哲学だ。」
「およそ地上に思いつく限りすべての色彩に包まれて、私は泣きながらシャッターを切った。いつかこの日を思い出すよすがを手に入れられるなら、どんな拙い1枚でもいいと思ったのだ。」
「祈る人の姿は美しい。そして力強い。」
「非合理で不条理な場所から生まれる活力も私はあると思うんだけど。そういう活力はえてして内側に向かいがちで、大きく社会を動かすエネルギーに膨らみにくい。最後はセックスとドラッグ、とか言っててもだめなわけだ。」
「お前が気づかず、また興味が無いにしても、この風には柔らかな春の匂いがするし、金木犀の香りが漂っている。」(山本周五郎「さぶ」)
サンタクロースの話。
「でも目には見えない大きな不思議な存在を一度真っすぐに信じた事実は消えないし、それは同じ誠実さで他の何かを信じることができる場所を心の中に培うということだと思う。」
「大丈夫、今がいちばんつらくてあとは楽しくなるばっかりよと伝えた。嘘ではない。悩みの真ん中にいる時は誰だって自分が世界でいちばんつらいし今まででいちばん悲しい。」
「私たちにはたぶん、居場所が必要だ。できれば小さな自分の部屋や作られた物語の内側だけじゃなく、生きている人の手や心の中に。」
「論理で割り切れてしまうところに本質があるのだろうか。そもそもものごとに本質なんてあるのか。少なくとも私はまだ見たことがない。感情を全く支配する、悲しみや喜び以上の真実を。」
「それでも圧倒的に正しいその言葉の中の、温度の無い正しさが私には恐ろしい。」
「日常の雑事を全てとりあえず収めるべき場所に収めて(あるいはなかったことにして)深夜に荷物をまとめ、えいやっと部屋を飛び出す、あの一瞬をやっぱりどうしても愛してると思う。
穏やかな日常に幸せを感じるのと同じ強さで今、いなくなりたい。」
「ひとりになれば、もう生きていくことのつらさも怖さも知らないはずはないのに、みんなでいる時にはこの世に悲しいことなんて何ひとつないと思っているような、最強の笑顔だ。」
「目の前の出来事に全身で喜びを表現できなくなったら、ライブに行くのはやめて家でワイドショウを批評していようということ。」
「他人と協力して、効率や生産性から遠く離れた作業に没頭することが大っぴらに許された時間を持てることが、学校という場所の財産かもしれない。」
「バカばっかりと思っていた男子の中に、自分だけにとってバカじゃないひとを見つけた時の気持ちは、なつかしかった。」
「ある人が、何かを本気でやりたいと思った時、その人い以外の誰も、それを制止できる完璧に正当な理由など持ち得ない。そんなの、あり得ない。」
「私は、今、目の前で生きて変化し続けてる人と話をしていたい。あたりさわりのある話をしたい。本気で泣いたり怒ったりできる関係の中でないと、本当に美しいものも分かち合えないと思うからだ。」
「モノクロの写真の空が寂しくて、上から色を塗ってみたら、もっと寂しくなった」(アラーキー)
「好きなものはたくさんあるけど、大切にしてるものは、そういくつもは、ない。」
自分と同じ年代の彼女の言葉が、日々が、私にはどうしようもなく近かったけど。
でも、今はもう彼女はとても遠いところにいる、ということが不思議に思える。