人生が用意するもの

川上未映子のエッセイ、さすがおもしろい。
大阪の女の人好きになること多いかも。
大阪弁、時々出してくるのずるいなあって、やっぱり思う。
言葉遣いが、ユーモアたっぷり。
おっちょこちょいなところとか、あるのですね。もっと自信家で気の強い人だと思ってた。
はっとするようなことを、驚くほど的確に、情緒豊かに書いてくれるところステキ。

欧米人ってみんな二重なのね。

「そしたら昨夜は窓からお客さんがいるのが見えた。よかった。」
「そんなことできるわけない、と子どものころに思ってたことが知らないうちにできる大人になっていて、できていたそのことができなくなる日がいつか再び来るのだなあ。」
「「夢想家」でいることができるのは、たとえば家を流され家族を失い、なにもかも失い、夢を見ることもままならない無数の人たちの、それでも希望や夢を見ようとせずにはいられないほどの現実があってこそなのだから。」
「たくさん読んでたくさん小説を書いてみたい、まかりとおってるもの揺らしたい、」
「身よりも皮のほうが好きだった、顔も見たことのない女の子。」
「こうして人は資本主義的限界に早々にぶつかって、趣味に敗れていくのだね。」
「怒るというのは自分が正しいという前提なしには成立しない。」
「人との出会いとは無数の要素の組み合わせによってその質が決定されてゆくのだね。」
「感覚はこれからどんどん平均化され、よく似た悩み喜びにまみれて大人になって、そこから抜け出すか共存するかしておそらくは短くはない人生を送るのだなと思えば、ようこそ!って気持ちと来るな!って気持ちの、ふたつがあるね。」