笹の舟で海をわたる

派手な展開を描くのではなく、一辺倒のキャラクターを描くのではなく。丁寧に丁寧に些細な出来事を紡いでいくことで、例えばある1人の女性が生涯に渡って抱える酷く個人的な思い込みに説得力を持たせていく、ということを角田光代さんはしていて。
小説を読んでいると、たまに、作家さんたちは、どうしてこんなにもどうでもいいと思えるようなことまで描くために労力を費やすのだろうと考えることがある。こたえは、わかっているような気がするけど。それでもやっぱり、1冊の本を生み出すためのその果てしない作業を前に彼らが重ねてきた時間や想いを前に、畏敬の念をいだく。

「お金を持つ人の考え方ってすごい、と左織はいつものことながら感心する。ときどき魔法がつかえるみたいに思える。ないなら作ればいいし、足らないなら増やせばいい、邪魔ならなくせばいい、と言うばかりか、本当に即座に、そういうことをしてしまう。」
「ときどきハンカチを目頭にあてているが、焼香客が式場に入ってくるときだけであることに左織は気づく。」
「柊平が言うように、かっこいいとも、温彦が言うように、文化的で洒落ているとも、左織は思わず、着いてすぐに思い浮かんだのは、この国と私たちは戦ったんだということで、そんなことをまず思う自分に驚き、また、恥じもした。もちろん口には出さなかった。でも、この国と戦って負けたのだという思いが消えること。はない」
「そうしてみんながみんな、このごろの人というのは、自分ひとりで生まれて生きてきたような顔をしている。」
「親が子どもに捨てられるなんてことがあると、想像することもなかった。」
「あなたとは違って、なんにも作れない、なんにも持てない大人になったわね。」