愛が嫌い

町屋良平、愛が嫌い。
この人の文章は、浮ついてて読んでてもほとんどつかめない。難しい。なのに、時々グサって刺されたみたいに的確な言葉が降ってきて、ああこのひと文章上手いんだってやっとわかる。私はまだまだひよっこだ。

「愛が嫌い」は、仕事やめた男のひとたちの話でもあって、ちょっとめずらしい題材。

気に入った場面。

先輩は甘えてるんじゃないって、わかってます。けど一般的にはあまえてるってことなんだって、くるしいです。
「あまえてるぞ!」って他人に正義ぶって言わせる先輩のほうが、なにかを「ひきうけてる」のかなって思います。

どっちをさがしても自分の自転車が見つからない時間のぜつぼうを泳ぎながら、しかしぼくは友達に素直に「自転車が見つかんない」と言えない子どもだった。そういう性格がいまのぼくののっぴきならない現状に寄与しているのだろうか、と考え、すこし内省的に夕暮れをみる。いつだって他人が眩しかった。

そしたら女の子にうまく甘えて生きていくんだぞー。それがいちばんだぞー。

明日になにも予定のない、幸福のない、僕のこの毎日で?できる限り真実に誠実であろうとする態度をどうして維持していくべきなのだろう。

このひとのこういうところがすき、とおもった。味もなにもしない。けれど「すきのきもち」は「すきのきもち」なのだ。愛じゃなくても、誓いじゃなくても、それでいいとおもっていた。