ヒュー・プレイサー、32歳か。恐ろしいくらいに誠実な、正直な人だと思った。
「今日、ぼくは、何かのために生きたくはない。ぼくは、ただ生きてみたいのだ。」
「ぼくにはわかっている、僕の人生をよぎるこの不安とは、「こうあるべき」自分と、ありのままの自分との戦いなんだ。」
「この瞬間にぼくがいちばんしたいと思っていることをするようにしよう、昨日ぼくが、ぼくのためにはこうするのがいちばん良い、と決めたことではなくて。」
「完全主義とは、ゆっくりと作法どおりに死んでいくことである。」
「「自分自身でいる」ということは、その時に自分が感じるものすべてを認め、自分の感情のどのレベルに反応するのかを自覚して選ぶことにより、自分の行動に責任をもつことなのだ、と。」
「ぼくのいけないのは、人生を生きようとするのではなく、分析しようとしていること。」
「たいていそれは他人の機嫌をそこねることへの恐れである。そしてほとんどの場合他人が期待していると(あわてて)思いこんでしまったことが自分にはできないんじゃないか、という恐怖である。そういう恐れにかられて行動した後はいつも情けなく、みじめで、つくづく自分がつまらない人間であると感じてしまう。」
「もし、書きたいという欲望に、実際に書く行為がともなっていなければ、その欲望は、書きたくない、ということ。」
「だれかに批判されたからといって、それでぼくの価値が下がるわけではない。」
「ぼくは、君が言っていることだけを聞いていたくない。君がそれをどういうつもりでいっているのかを感じとりたいのだ。」
「ぼくが一人の人をいつも愛していなければならないと信じることは、自分を破壊することになるのだ。」
「もしぼくを君の友だちとして望むのなら、君はぼくのペニスもぼくと一緒に受けいれなければならないだろうね。」
「感情は感覚であり、どれをとってみても、ふたつの感情がまったく同じものであることなどありえない。」
「君がぼくのことをどう思っているのだろうか、とぼくが心配しているかぎり、ぼくはきみに対して心を開いていないし、君を受け入れようともしていない。」
「ぼくは出会う人たちとなるべく早く親しくなりたい。ぼくたちはどうせ長くは一緒にいられないとわかっているのだから。」