「優しい」ことについて考えてみる。
「優しい」の対義語は、たくさんあると思う。厳しい、冷たい、怖い、いじわる、などなど。
だけど、厳しい人こそが優しいなんて理論もあるからやっかいだ。
それに、一見最上級の誉め言葉かのように思われるこの言葉は、どうやらそんなにほめてないらしい。
クリープハイプも、「優しいだけじゃ意味ないし」って言ってるね。
私は、「優しい」には2種類あると思う。
あきらめてる優しさと、あきらめてない優しさ。
表面では、なかなか見分けがつかないの。
だけど、あきらめてる優しさの根底には、すこぶるドライな感情がひそんでる。
あきらめてない優しさの根底には、少しの依存がひそんでる。
前者は都合が良くて、後者は鬱陶しい。
それに、両極端にある両者はグラデーションみたいになってるから、どっちか一方ってことでもないのです。
そう考えると、僕らはずっと優しいのかもしれない。
自分に優しいときもあれば、他人に優しいときもあるし、人間以外のものに優しいときもある。
僕らはきっと、ずっと、なにかに優しい。
「おれはナナがおれの思い通りにならなくてもたとえ他の男と結ばれてもずっと変わらずに大事に思えるくらい優しい人間になりてぇよ・・・」(マンガ「NANA」)